カズ整体院のあれこれ
はじめまして十和田市西二十二番町でカズ整体院を営業させていただいております。
院長の「瀬 上 一 憲 (せのうえかずのり)」と申します。
以下、私自身の経験談などを語らせていただきます。
私は歩くこともままならない間欠性跛行を併発する脊柱管狭窄症でした…
私は、いまでこそ、あなたのようにお体のトラブルにお悩みで、ツライ痛みを抱えている患者さんの回復のお手伝いをする側の立場に立っていますが、以前は、あなたと同じ慢性的な腰痛持ちの患者でした。
私は小学生のときから剣道をやっていました。
十和田で開業して後、2012年の8月~2019年の3月まで近くの中学校でコーチをしておりました。
今にして思えば、剣道を始めたおかげで多少姿勢は良くはなったものの、小児喘息持ちの猫背でしたし、練習後のクールダウンもきちんとしなかったせいで、私は慢性的な腰痛持ちになりました。
小学生のころから整体院に通うような子供時代をすごしました。
一番腰痛に悩まされたのは、高校時代です。
それこそ、毎日の練習と週一回の整体院への通院の繰り返しのような高校時代でした。
結局、腰痛は、大人になっても治らず、むしろ慢性化した腰痛を悪化させないよう、だましだまし生きていました。
あれは46歳になったころです。急に経験したことのない激しい痛みに襲われます。
脊柱管狭窄症による「坐骨神経痛」でした。
脊柱管狭窄症による坐骨神経痛は、ご存知の通り、腰から足にかけて伸びている「坐骨神経」がさまざまな原因によって圧迫・刺激されることであらわれる、痛みやしびれなどの症状のことです。
多くの場合、腰痛に引き続いて発症し、次にお尻や太ももの後ろ、すね、足先などに痛みやしびれがあらわれるだけでなく、麻痺や痛みで歩けなくなります(間欠性破行といいます)。
私もご多分に漏れず、50メートルくらい歩くとお尻のあたりに激痛が走り、膝に手を当て、屈みながら痛みをやり過ごす。そのような動作を繰り返して通勤していました。
そのときは、もちろん通勤ならぬ「痛勤」だけでクタクタでした。
夜も熟睡することができず、何度もトイレに起きました。
自分がどうしてこのような痛みを抱えているのか、どういう病状なのかすら全くわからないありさまでしたが、整形外科で処方された注射とシップで、ごまかしながら過ごすしかありませんでした。
偶然の出会いが私を変えてくれました…
そんな折、帰省のため八戸の実家に戻ってきていた時のことです。
「出張整体の先生がお見えになるけれど、お前も受けてみないか?」と母親に言われました。
私は小学校からの経験上、整体は、即効性があるものではないと知っていましたので断りましたが、それでもしつこくすすめてくるので、ダメもとで受けることにしました。
今思うと私の体を心配した、母が予約を入れてくれていたのでしょう。ありがたいです…。
現れた整体の先生は、いたって普通の人に見えました。
問診のあと、マットレスにうつ伏せに寝かせられました。
腰通歴40年の私が良くなっていた…
先生が私の体を一箇所ずつ押していくたびに、口から「ぐはっ」と声が漏れ、思わず床を手で叩いてしまいます。
それくらい激痛が次々と走りました。
ですが先生の方を振り向くと「手を当てているだけだ」といいます。様子をうかがっていると、言われた通り、全然力が入っているようには見えませんでした。それでも、ただ手を当てているだけなのに、鋭い痛みが全身を駆け巡りました。
「だいぶ悪いね。これでよく都会で電車通勤出来ていたね」と言われました。
本来1時間弱のところ、先生は汗だくで2時間近く私の体をほぐしてくれました。
終わった時、私の体にどっさりと乗っかっていた錘が外れたような気がしました。
しばらくできていなかった、体を反らせる動作も出来るようになっていました。
その夜は坐骨神経痛からくる痛みと背中のハリで熟睡できていなかったのに、あおむけ寝ができるまでになり、ぐっすり眠ることができました。
そうです! たった一回施術を受けただけで、体が覚醒し始めていたのです!
もちろん、それで完全に治ったわけではありませんが、治る嚆矢となった整体経験は、私を感動させるには十分でした。
自分のような体調が悪い人を元気にしてあげたい!
そう思いたちお世話になった先生と同じスクールの門をたたき、修行しました。
あれだけ難儀した痛みは、修行中他のスクール生の練習台になっているうちに治ってしまいました。
今も同様の痛みを抱えて来院される患者さんにお話しするのですが、狭窄症は治るんだなと実感したのは、何度目かの練習台になった晩、びっくりするぐらいの大量のおしっこが出たことでした。
私が学び始めた理由や学びの詳細については、「ブログ 十和田市 炭酸整体 カズ整体院」に詳細記述しておりますので、そちらをご覧になってください。
2012年4月、十和田の地で開業
修行を終え、そしてすべてを捨てて、一からこの十和田で開業することとなりました。
今でも、どうして十和田で開業しようとしたのかと良く聞かれます。
生まれ故郷の八戸でもなく、長く住んだ首都圏でもなく、十和田に。
それは十和田の水がおいしかったことと、子供の頃祖母と訪れた時の活気あふれる商店街の記憶がありましたし、そして実際に街並みを見て、ここに住みたいと思ったからとしかいいようがありません。
仕事仲間たちは、みな私のことを大丈夫なのか?と心配してくれました。
脱サラして成功できるのか。
今までのキャリアをリセットするのか。
生活のことを考えたら、住み慣れた都会で開業する方がいいのではないか。
当時の仕事仲間たちは、自分の決断がゆるぎないものと見るや盛大に送別会を催して送り出してくれただけでなく、開業初日には整体院の入口がいっぱいになるほどの花を贈ってくれました。
むしろ、仕事を辞めることを最後まで反対していたのは、両親でした。
皮肉なことに、開業後、一番多く整体を受けたのは今は亡き母でしたけれど。
重度の貧血、そして膝が悪かったのもあって、入退院を繰り返し、医者からも自力での歩行は無理といわれた母が、自分の施術で、立てるようになり、歩くことができるようになったことは、開業する場所を長く住んでいた東京でなく十和田にして良かったと、多少なりとも孝行できてよかったと思いました。
私は整体師になり、寝たきり状態になってしまうことも覚悟せざるを得なかった母を自力歩行できるまでに回復させた技術を持っているという自負と自信があります。
私が体験した体が変わる、良くなったという感動をあなたにもぜひ体験していただきたいのです。
繰り返しますが、私も、満足に歩けないほどの腰痛持ちでした。だからこそ、体が辛い人の気持ちは痛いほどよくわかります。
私に任せてください。
もう大丈夫です。
一緒に直していきましょう。